くるくる回る蘭の花。

「ザ・インタビューズ」というサイトの中毒者です。

「弟との会話・2」勉強と天才。――全く勤勉ではない日本人と1%の才能。

(「弟との会話・1」の続き)

 

 さて、最初に話した頭が良いと言うことについての話を思い出した、高校入試のレベルはかなり高い。だが英語の問題などは選択肢の中からパターンで答えを出すことが出来、「俺頭良い」と思ったら実際高校に入ると英語が全くわからないということがあるらしい。あと、高校や大学の話だが、アメリカでは図書室が二十四時間開いており、出される宿題が一日五時間やらなくては解けない問題だったらしい。科挙がある中国では更に勉強が大変らしい。彼らはそれをやっていることを前提にしているからこそ、日本人は塾に行くから勤勉だ、と認識されている。だが、実は日本人は全く勉強をしていないという。

 

 

 それから発展して天才についての話。ヒッグス粒子を考えた人は二週間だが、三週間ぐらいで思いついたらしいし、ある人の日本語の学び方は日本に来る飛行機でひらがなとカタカナを全部憶え、後は現地の会話で憶えたらしい。努力である程度のレベルまで行くとしても、99%の努力と1%の才能と言う。99%の努力をしても1%の才能がないとダメだし、弟が言うにはそれに天才は人より更に上の努力をしていると。俺の持論だが才能には三種類がある「初期値」と「伸びる速度」「限界値」。弟は「初期値が高く」何でもすぐに習得する人で、大体のものは俺の後に始め一瞬で抜き去っていく。

〈弟との会話・1〉 いじめ問題とその原理――村八分されるまでの兆候とは

 今日は弟と五時間ほど話したぜ。楽しかった。ありがとう。

 

 何を話したかは話す内容が多種多様すぎてあまり憶えていないんだが、頭がいい人との会話は面白い。弟はほんとに頭が良い、俺の次にね(笑)、(との台詞を何度も言っていた)。弟はTwitterをやっていたときには二五才くらいと思われていて「十時過ぎに一緒に酒飲まない?」とか言われたらしい。――その時弟は一四才だったんだけど。Twitterでは大学の教師とか社長とか3Dの物理演算ソフトを作る一八才とかと付き合っていたらしい。そういう人たちなら確かにTwitterも楽しそうだ。

 

 お互い深みに入りお互いのいじめ経験とかも語った。俺は教室に行くと机が逆向きになっており、黒板と机に落書きが書いてあり、ロッカーにごみが入っている程度だったんだが。黒板の落書きが「赤木(とりあえず仮名)」と言う俺の名前が「茶木」と書いてあるという、「本家茶木さんに失礼だろ!」というものだったという。まぁ、俺が不登校になる前に教師が辞めるようなクラスだったんだがね。弟が言うにはいじめには厳しくなる前の「ちょっとした警告」というものがあるらしい。村八分という単語があるが実際は村八分は滅多に怒らず前々から忠告をさりげなく出して、それを無視したり気がつかなかったりしたら村八分に入るらしい。昔だとすぐ村八分するとその人がすぐに死んじゃうからね。俺はスクールカーストと言う概念どころかグループというものがあることすら知らない、空気が読めない以前に空気という概念を知らない人間だったから兆候に気づかずいじめられたね。

 

 俺がほとんどの男子にはいじめられたが女子にはいじめられなかったな、というと、いやそれは鈍感すぎて気づいてなかっただけだ、と言われましたね。弟が言うには男子に比べて女子のいじめは恐ろしいらしい、男子はバカだから証拠が残るいじめをするが女子は証拠が残らないいじめをするらしい。あと、いじめをする側の方が人数が多いから、先生もそっち側が正しいと思っちゃたりもするらしい。

 

 

 人数と言えばいじめが起きるか起きないかは初期状態の反対派と傍観者で決まるらしい、「五人反対する人がいたら俺も反対する」という傍観者がいて「六人反対するひとが(以下同文」「七人反対(以下同文)」「八(以下同文)」と連鎖的に連鎖するらしい。いじめには沸点のようなものがあることがグラフを見るとわかる(〈日本の「安心」はなぜ消えたのか?〉という本を読むと詳しくわかります)。

恐ろしいカバと弱いタランチュラと、地上最強のアリ。

 弟が言っていたんだが、カバって相当危険な生物らしい。

 三トンの身体で人が近づいたら時速四十キロで突進してくるそうだ。

 現地の人でも近づかないようにしてるらしい。ライオンより恐ろしい。

 ……しかし、ゾウはそれを文字通り鼻であしらって転倒させるらしい。

 

 ちなみに、タランチュラは猛毒のイメージがあるが、

 手がしびれる程度の毒(ただしすごい痛い)で人間の死亡例は確認されていないそうだ。

 しかも、タランチュラって餌のコオロギを与えると、逆にコオロギに食われることがある。

 与えた水が深めだと溺れる。ケージを昇って落ちて怪我して死んだりととにかく死ぬ。

 タランチュラは面白。グーグルで検索するとすぐ出てくる“† タランチュラの飼育 † Pets!Pets!”は面白い、読んで爆笑してた。

 

 話はキノコに変わり、ベニテングダケという赤くて毒っぽいイメージがあるキノコはあまり毒が強くなく、

 案外普通に見えるキノコで死んだりするから素人でのキノコ狩りは危険だよ。

 

 知っているとも思うが、アリも凶暴なやつは凶暴で虎でも殺す。

 話は微妙にずれるがアリはある意味地上で最も成功している生物で、地上のほ乳類全ての重量と全てのアリの重量を比べると、勝っちゃうかも知れないほどです。

 ……シロアリはゴキブリやカマキリの仲間なのでアリではないです。

男女の会話の違いの理由と会話のコツ。

 女性と男性の会話の違いについて語ろうか。

 俺は男と女を行ったり来たりしている謎人間なので両性のしゃべり方のコツがわかるぜい。――ちなみに今は男モード(活動期)だ。

 

 女性の会話は「感情の共有」に主軸が置かれ男性の会話は「結論を出す」ことに主軸が置かれている。ので、女性の会話は平面的で話題がとんでいき、男性の会話は垂直的で結論に向かおうとする。女性は相手に向かって喋ることが目的なのに、男性はすぐに結論を求め女性の不快感に繋がる。また、男性は1→2→3の様な順番でされる話が聞きやすいのだが、女性は話の流れで話題を転々と飛ばす(実際は繋がっているが男性としては飛んでいるように感じることが多い)のでついて行けず不快感を感じる。また、女性が相手に内容が理解されていないと感じるのは、男性が話の内容にばかり気をとられ付随する感情を理解していないからで、男性が相手に話が通じないと思うのは論理的な(順序を重視する)会話を女性が苦手としているからだ。もちろん論理的な女性もいれば、感情的な男性もいるだろうが、一般的にはこの傾向だと思う。

 

 進化論的に言えば遙か過去男性は集団で狩りをするにあたって、議論しすぐに結論を出す必要があり、女性は集団で木の実などを採取するに当たって感情を読み取り共有する必要があったからだろう。

 

 さて、これを踏まえたうえで男性と女性が会話するには、……どうすりゃいいんだ(おい)。俺としてもどちらかと一対一でしか話さないようなひきこもり人間だからな……(最初の自信はどうした)。応急処置的な案だが、どちらかの性別がどちらかに合わせて、会話するとして。

 

 女性が男性と会話する場合は、まず先に結論を述べてから中間の会話を開始する。話題を転換する場合は転換するときにそう告げる。相手が相づちも打たず顔を合わせないとしても、質問を混ぜ話を聞いている確認する。

 

 男性が女性と会話する場合は、相手の会話に適度に相づちを打ち、相づちのトーンや笑いを相手に合わせる。結論をさっさと聞きたくても話を遮らず、聞き続ける。会話する気が起きない場合は内容を聞き流し、とりあえずリズム良く相づちを打っておけばいい。

 

 以上こんな感じでしょうか。

 

 

趣味が読書とは

 ブログ書いてねぇっ!

 カクコトナイデスヨ。

 

 今年も終わりに近づいてきました。

 一年の間に百冊の本を読む予定だったが、今のところ六十三冊。間に合わぬ。

 去年は一月から三月の間に一日一冊を掲げて九十冊読んだんだぜ(自慢)。

 

 ところで、最近「愛読書は〈ワンピース〉」という文章を見かけたんだが、俺としては違和感が多かった。俺が「読書」と言った場合は漫画は含まれないし、俺が「本」と言った場合も漫画は含まない。「漫画」は「漫画」だ。(ちなみに「アニメ」を「漫画」という人がいるが「アニメ」は「アニメ」で漫画ではない。)

 

 しかし、「趣味が読書」って書いてあった場合は漫画だけ読んでいることもあるのか……? 本当に本を読んでいたとしても、どれぐらいで本が趣味と言えるのだろうか。音楽が趣味と言うのも難しい、俺は一日中音楽を流しっぱなしで一日で同じ曲を百五十回くらい聞いたりするが、趣味は音楽とは言えない気がする。ただ聞いているだけで音楽に関与していない気がする。それで趣味と感じないなら趣味というものはその物事に対して積極的に関わっていこうという意志だろうか。一日中テレビを流していて眺めるだけでは趣味がテレビとは言えず。番組を見ながら自分の考えを展開していけば趣味と言えるかも知れない。ということは積極的に何十冊の本を読んだり、年に読んだ本が五冊だったりしても、ベストセラーや店頭にならでいる本ではなく自分で調べたマニアックな本を読んでいたり、内容を熟考したりしていたらそれは趣味が読書と言って良いかもしれない。あと、仕事で読んでいたり、悩みがあったりてと必要に迫られて読んでいる場合は趣味ではないだろう。でも、勉強で読んでいたらどうなんだと言うのもあるが、勉強で読んでいても楽しく読んでいたら趣味と感じることもあるよなー。さて、俺は本を自分で積極的に調べ、あらゆる種類の本のチャレンジし、年に平均八十冊読み、内容を受け止め、時には否定し、自分から理解を生み出しているし、楽しんでいるので「趣味は読書」だ。

 

 

信仰とはコーヒー。

俺はクリスチャンである。

まぁ、つまりキリスト教の神と聖書を信仰しているわけだが、

わりと普通の人との信仰とは違う。

 

俺にとって信仰とはコーヒーのようなもの、

喉が渇けば飲むが特段特別なものではない。

そこらに普通に存在するものだ。

 

俺は困ったときに神に祈るわけではない、困ったときに信仰が薄れることもない。

ただ自然と日常的に飲んでいるだけだ。

 

たまに聖書に書いていることが苦すぎれば牛乳を入れたり、砂糖を入れたりする。

家にストックしているコーヒー(信仰)が適度に、

それでもかなり間を開けて無くなるなるので買いに行ったりすることはある。

 

イエス・キリストの黄泉帰りも(天国帰り?)も、

何事もない当然のこととして俺の中には存在している。

リヴァイアサンだってまぁ、普通にいるんじゃないかと思っている。

 

さて、喉がわずかに渇いたのでコーヒーでも飲むか、砂糖と牛乳を入れて。

当たり前に、美味しく味わおう。

僕が乞い、滅びた世界 誰がなく(無く)(泣く)(亡く)

西尾維新先生に従って、俺の小説を五七五で表してみました(たまに字余り)。

音読すると気持ちいいです。

 

・僕が願う世界終末。

「僕が乞い、滅びた世界 誰がなく(無く)(泣く)(亡く)」

 

・環金術士のリヴィエラ

「お金とは、使いし人の 鏡なり」

 

・林檎新聞

「新聞の、枠の大きさ 世界の目」

 

・エデンリンゴ

「人生は、スタッフロールの 先にある」

 

 ・これから〈MOE〉を開始する

「勇気という、言葉は君が くれたんだ」

 

・混ざりあえ、いろ。

「えぐり出し、見つけた色は さめ(冷め)(覚め)ている」

 

・World end life

「終末の、武力を持ちし ただのひと(日と)(人)」

 

・bcN

「血吸い鬼、救いし果ては 最果てに」

 

・bc

「血吸い鬼、救いしために 餌がために」

 

・蒼い桜と紅の薔薇

「空を飲む、蒼い桜と 血吸い薔薇」

 

・お前は鈴木だ。

「看板など、動物たちには 通じない」

 

・言語攻撃

「変化した、文字のことこそ 異星人」

 

・紅の次元歩き

「手を握る、彼こそ正義の 味方なり」

 

・最強の農民

「得がたきは、能を捨てさる 先にある」

 

・蒼空のアナキズム

「太陽に、手伸ばす君こそ 太陽だ」

 

・君に会うためだけの学校

「オレ様が、愛した女だ 前を見ろ」

 

・君に会うためだけの学校 side道華

「顔上げて、君が居るから 前を見る」

 

・トガキミ×トキガミ

「必要は、やらずに済ませ 無駄をする」

 

・地球は丸くない。

「常識の、枠を外して 宇宙(そら)に行け」

 

・ハーレム部と萌え魔法

「本当に、君のことが 好きなんだ」

 

・×24ヒーロー

「英雄が、生まれるために 世界あり」

 

・一人に魔法は三つまで。

「無きしこと、それも一つの 才となり」

 

・僕は夢騎士。

「夢なれぞ、死の体験を 幾度となく」

 

・クロノカミキリ

中二病、極めし者は 本物へ」

 

・てっぺん

「目指ししは 報酬無きし 頂点だ」

 

・ほむ子とチャラ男

「生きていく、それ自体が 勉強だ」