くるくる回る蘭の花。

「ザ・インタビューズ」というサイトの中毒者です。

画面に映る文字だけが現実で、

 うわーブログ書いてねぇ……というわけで、

 

「冷凍庫にゴロリ、商品くわえる女性店員…若者たちの“低レベルな自己顕示欲”」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130810-00000538-san-soci

 

 について語ってみよう。

 

 この記事は、cimacoxさんのブログを読んで知ったわけだけど、……リンクの張り方わからない……。

http://cimacox.hatenablog.com/entry/2013/08/12/230956

 

 あと、 id:lkhjkljkljdkljlさんのの記事も読ませていただきました。

http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425

 

 

 さて、“虚構の世界と現実の世界が一緒になってしまっている”と言われているようだが、俺はそう思わない。俺はネットと現実の世界が解離してしまっているように感じる。上の文章に違和感を感じるだろうか。「ネットの世界と現実の世界」の所だ。ネットの世界も現実の世界もなにもどちらの現実の世界だ。その世界をネット(虚構)と現実(ネット外)で分けてしまっているのだ。

 

 今俺が書いているブログは現実の俺が書いている。そして、現実の人間が読むことだろう。だから、俺はネットで文章を書くことに恐怖も感じる。自分がなんとなしに発した言葉が現実の人間を傷つけてしまわないか。まぁ、ほんとに怖いのは俺の書いた文章が誰かの気に障って、私が嫌われてしまうことだけど。俺はネットで文章を書くときには公共の掲示板に文章を書くくらいに緊張していることもある。それは当然だ、ネットは公共の掲示板だ。

 

 全世界の人間がみられる場所に文章を書くなんて、何という恐怖だろうか。それは日本で本を出版するよりも広がっていく可能性を秘めている。

 

 さて、何の話だったか。現実と虚構の解離だったか。虚構(ネット)と現実(ネット外)が解離しているとしたら、ネットでの犯罪自慢は現実での犯罪とならない。ネットを眺め画面に映ることは現実と認識しても、画面の外は虚構として意識されない。画面までは現実だが、画面に映らないことは虚構として意識されない。画面に映る賞賛の文字だけが現実で、文字を生み出した背景は虚構の海へ沈んだまま。

 

 しかし、今回は現実での犯罪が伴っている。それは虚構の話とはまた別の話。ここでも俺の考えを述べようとしたが、知識の方が出張ってきて思いつかないので、俺の知識を書くと。

 

“最近の若者はコミュニケーションがとても繊細で複雑になり。その結果、外部まで気を使う余裕が無くなっている。オヤジ狩りなども金銭や反発が理由なのではなく、仲間内でのコミュニケーション為に行われている。”

 

 と言うわけで、今回の件も仲間内でのコミュニケーションとして行われたのではないだろうか。誰かか主導するというよりは、そういう「空気」になり(空気に)逆らうことが出来ず実行してしまったのではないだろうか?

 

 その後、仲間関係の賞賛と、コミュニケーションの道具が必要となり、それをネットを求めたのではないだろうか。そして、画面に映る文字だけが現実の内に入り、画面外はネットという虚構として意識されなかったのではないだろうか?

 

 また、本当の賞賛を得たい。が、空気を読み合う仲間内では本音での賞賛が得られず、ネットでその本音での賞賛を求めたのではないだろか。ネットの世界は虚構の世界だが、賞賛の文字が映る画面だけは現実と繋がっている。後の炎上での恐怖も現実と繋がって隣にあった恐怖に気づいたというより、画面の向こうから、虚構から、突然恐怖がやってきたとて感じたのではないだろうか。

 

 

 とのような感じに好き勝手書かせていただいたが、ここに書いてあることとと本当のことは全く違うかも知れない。この文章が、誰かを傷つけてしまうかも知れない。その恐怖を抱えながら、投稿ボタンを押す