くるくる回る蘭の花。

「ザ・インタビューズ」というサイトの中毒者です。

ザ・インタビューズ「スクールカースト」

“お前らスクールカーストでどのポジションだったか答えてみ? ”

 

“ 最下位だっただろうね、いじめられっ子だったから。

 

 そのころはスクールカーストなんて言葉も知らず、クラス内がそんな派閥で別れていることも気づいていない人間だった。だからこそ最下位に、いじめられっ子になったのだろう。そして、彼らのおかげで俺はレールを踏み外し、自分の道を造ることを知った。だから、今では感謝している。

 

 さて、学校は狭い世界を構成している、学校に通っているとまるでそこだけが世界だけのように感じられる。学校の外なんて無く、学校が世界の全てを構成しているかのように思えてくる。学校という狭い世界。学校という整備されたレール。いや――学校というのはレールと言うよりはもはやベルトコンベアだなんて思ったりもする。

 

 いじめられても学校に行かなくてはいけない気になってしまう。だって学校が世界の全てだから、学校というレールに乗っていなくちゃ行けないから。学校でいじめられている、それは世界の全てを敵に回しているかのよう。世界全部が敵なら、敵がいない場所なんてないから、死ぬしかない。――なんて、自ら死を選んでしまう人間がいるのだろう。

 

 だが、学校の外にも世界は広がっている。それを誰かが教えることが出来れば、そのいじめられている人の世界が学校の外に飛び出して、学校という整備されたレール(のようなベルトコンベア)以外にも様々なレールが走っていることを、自分で道を切り開くすべも知ることが出来るだろう。

 

 世界はいくらでも広がっている。レールは何本も走っている。自分で道を切り開くのは辛いことだがやりがいがある。

 

 そして、不登校になり、学校に通うという貴重で重要な期間を失ったとしても。不登校でくよくよ悩んでいるよりも、ひきこもってただテレビを見ているだけとかじゃなく、「せっかく不登校なんだから、学校行っている奴には出来ない、不登校という貴重で重要な期間を歩もう。」

 

 そうすれば世界は地平線の向こうまで広がっていることを知り。自分のレールを見つけたり、新しい自分の道を切り開く助けになる。

 

 

 地平線の向こうは見えない。だが、その向こうに世界が広がっていることをいつか知れる。その地平線に続く幾本のレールや道が見えるようになる。そして、自分の道を切り開く、足音が聞こえてくる。”