くるくる回る蘭の花。

「ザ・インタビューズ」というサイトの中毒者です。

短編小説「言語攻撃」

バックアップの名の下に、書いた小説を丸々ブログに貼り付ける。

 

題名「言語攻撃」

あらすじ。宇宙人からの攻撃とされる「言語攻撃」。それはあらゆる文章が意味のわからない文書に書き換わるという現象。

 

“ 宇宙人の侵略攻撃についての覚え書き。

 

 最近どうも宇宙人が攻めてきたようで、近辺が騒がしい。宇宙人だかなんだかのせいで業務が滞り、三日徹夜で作業。宇宙人も恨めしいが、社長も恨めしい。そういえば社長の顔はどうも人間より宇宙人に近い気がするが、宇宙人の先兵ではないか。違うな。宇宙人の先兵が社員三人の会社にて、地方の地方の地方の広告を作ってどうするというのだ。広告でマインドコントロールでもするのか。サブリミナル効果でも仕込んでいるのか、いや仕込んでいない。広告を作っているのは俺だ。仕込んでいたとしても地方の滅びかけた村で老人を操って何を成すというのか。老人に国会議事堂でも攻めさせるのか、成功確率は俺の給料のように少ない。

 宇宙人のせいでてんてこ舞いだった三日を終え、ついに宇宙人効果により仕事の進行は不可能と判断。発注者もこんな広告、どうでも良くなっている。三日徹夜の労力は無駄となった。仕事がゼロで暇になった。いつもの会社に戻ったとも言える。

 おかげで今日は休暇だ。のんびりと起床。目覚めの紅茶を飲みながら新聞を開く。このような見出しが躍っている、

「宇宙人のクシャミにはマンドリンエキス豊富」

「日本語の乱れ、地平線の向こうへ、さらば靴下」

「原形をとどめない、水滴、人類の神秘を語る」

 ふむふむ、意味がわからない。宇宙人の攻撃で新聞社もてんてこ舞いのようだ。てんてこ舞いのせいで編集者がとち狂ったのか。いやそうでは無い、この新聞に見られる現象が宇宙人の攻撃なのだ。

 三日前、世界中のあらゆる文章、あらゆる言語の「私」の文字が「宇宙人」の文字へと変容した。小説の「私」も、ネット掲示板の「私」も、歴史的壁画の「私」もすべて「宇宙人」の文字へと変容した。いや、歴史的壁画の文字は確かに変化したが、宇宙人になったかどうかは判明していない。その時代に宇宙人の概念はないだろうからどんな字に変わったか興味深いが、今、それを調べている余裕はない。ともかくこの現象が宇宙人のファーストアタックだと言われている。

 この現象は瞬く間に全ての単語に広がり、文法へと広がり、文章は崩壊した。あらゆる文章が意味のわからない文章へと書き換えられた、文章を新たに書くとその場でその文は意味のわからない文書上とリアルタイムで変容する。これが宇宙人による「言語攻撃」だとまことしやかにささやかれている。宇宙人の攻撃であるという根拠は最初の変容が「私」→「宇宙人」であった、というそれだけの適当な理由だ。最初の変換が「馬」だったら馬のせいにされていたのだろうか、「鈴木湊人」と変換されていたら俺のせいにされていたのだろうか。

 政府からの発表では宇宙人が原因とはされていない。そもそも宇宙人の「う」の字も出なかった。国としては軽々しく宇宙人のせいには出来ないのだろう。当たり前である。じゃあ、政府の見解ではどのような原因が推測されているのかというと、特に何も言っていなかった。何も言わないことを言うのが得意な政府だった。政府内でも重要書類、重要データーが全て言語攻撃を受けたのだからてんてこ舞いだろう。ところで「てんてこ舞い」とはどのような踊りだろうか。何となく「てんてこ舞い」とそこらにあった鉛筆でそこらのメモ帳に書いてみる「鴉の行水」という文字列に変容した。ちなみに「て」だけ書いた時点では「ま」になっており「ん」を追加した時点で「麒麟」になったりと、忙しく変容していた。消しゴムで「水」を消すと「毬祭り」という文字列になった。

 ともかく新聞は役に立たない。テレビを見よう。そもそもなぜ新聞は出版され続けているのだろうか。月々で既に金を貰っているから律儀にしっかりと届けなくては、と思っているのだろうか。ただ単に言語攻撃のせいで会社が上手く機能していないのだろう。

 さて、ニュース番組のテロップには、「古今東西、うまいラーメンは出汁におからをペンギンにて使用」と書かれていた。キャスターはラーメンの出汁の話題にしては深刻な顔をしている。喋っている内容も言語攻撃についてであり、ラーメンもペンギンも登場しない。言語攻撃による経済ダメージが日本では一兆円を超えたらしい。ただし、様々な情報が錯綜しており、全ての情報が伝言ゲーム状態で伝わっている。そのためにあらゆる情報が確実なこととは言えない、と言い訳をしている。テロップには、「被害想定、百二十ドン。愛する君はウスバカゲロウ」と表示されている。その後テロップには意味が無いどころか混乱を呼ぶだけだと判断されたのか、テロップは消えた。

 腹が減ってきたので、俺は外出を決意する。コンビニで弁当でも買うかと家を出る。スマートフォンでラジオを聞きながらコンビニまで歩く。ラジオが耳の中に情報をつっこんでくる。

〈悲嘆に暮れる人類ですが、中にはこの状況に熱意を燃やしている方々がいます。それは自称「翻訳家」の皆様。翻訳家の皆様は日本語を日本語に、英語を英語に翻訳することに情熱を抱いております。この言語崩壊に何かしらの秩序がある、と彼らは言語の解読に挑みます〉

 コンビニ着き、弁当コーナーを眺める。値札の欄には、「この度は、アメリカ横断双六ゲーム、優勝者は蜘蛛の巣を撤去」と、細かい字で書いてあったりする。何をどうしろと言うのだろうか。店員に値段を確認し「大体これくらいでしょう」との返事が返ってくるので大体の金を出す。もはや適当に運営するしかないのだ。値段は伝言ゲームでしか伝えられない。千円札には「1000」の代わりに「8632」と書かれているが、八六三二円の価値は生まれない。ラジオでは「翻訳家」の話が続く。

〈「翻訳家」の皆様に与えられているサンプルは豊富です。自分で、「この文を翻訳してみよう」と書けば、「この文鳥、さてはミミズク、糧はミミズ」とのような文章が生まれるわけです。世界中、何万のもの翻訳家の皆様が法則を見いだそうとしていますが、未だ確固たる法則は発見出来ていません。「いや、『私』が『宇宙人』に変わることはわかっている、何か法則がある可能性が」と、とある翻訳家の方が試しに「私」と書いてみますと「犬」に変換されたそうです〉

 俺は財布が心許ないことに気づき、コンビニで金をおろすことにした。文字は全て変容している、「1」があるであろう場所には「三億」と書かれていたりする。「2」が書いてあるであろう場所には「シンドローム」と書かれている。俺は大体のボタンの位置を記憶と勘に頼り押し、金を引き出すことに成功する。ラジオでは今度は「作家」の話が始まっている。

〈翻訳家が居るのですから、作家が居てもおかしくはありません。作家の皆様の目的は、この言語崩壊状態でいかにしっかりとした文を書けるか、です。一流作家となれば、「アリの巣に、蜂蜜流し、空を見上げ、肉を思う。」と文字を綴り、「地平線から、太陽が昇りつつある、世界にまた朝が訪れたのだ。世界には次に夜が訪れ、また朝が訪れるのだろう。」と変容後に意味の通じる文を執筆することが可能なのです。一流作家となるためには、たまたま意味の通じる文書が出来上がるまでただひたすら適当に文章を書くという、忍耐力が求められそうです〉

 コンビニからの帰り道を歩いていると、いきなりに知らない人間が俺に声をかけてきた。世の終わりと宇宙人の到来を唱えるその人は、昔には聖書であったであろう本を掲げている。「聖書」の文字は、「マカデミアチョコ」となっているが、その書籍は未だ信仰を説いているのだろうか。世の終わりを唱えるその人は、聖書(であった本)の最初のページを開く。そこには、「ほれ見たことか マントヒヒの行進は漫然と愛、果てつくまで、かく語りきはかき氷」と書かれている。それは神の言葉が宇宙人の言葉か。俺はその宇宙人の到来を唱える人間をはねのけ、また歩き出す。

 家の前でふと立ち止まり、俺はなんとなく空を見上げる。言語攻撃によって文明は滅びかけているような気もするが、とりあえず人類はまだ生きている。戸籍には俺の名前「鈴木湊人」は残っていないだろうが、俺は確かにここに居る。地球上から文章が絶滅しそうだが、空は今でも青い。例え辞書に空は黄緑色と書かれていても。

 空の向こうから宇宙人がやってくる気配はない。これまでも、これからも。

 

 ――さて、この文章はここらで終了を迎える。あらゆる文章が変容するのだから、この文章も当然変容している。この文章の正体は小学生の絵日記なのだが、いかほどに変容しているだろうか――”