くるくる回る蘭の花。

「ザ・インタビューズ」というサイトの中毒者です。

ザ・インタビューズ「死刑制度についての、追記」

 ……回転蘭の皮がはがれておるぞ。

 

 さて、死刑囚は死刑囚である前に、人間なんだぜ。泣き、笑い、悲しみ、一生懸命に人生を歩んでいた人間なんだぜ。愛した人もいるだろう、沢山の人に愛されたりしただろう。家族だって居るだろう、友達だって居るだろう。人々を泣かせることもあれば、人々に笑顔を与えたこともあるだろう。殺人と言う行為がその人間の全てじゃない。死刑囚を殺すんじゃない、自分と同じ血の通った、温かい人間を殺すのだ。

 

 俺がこういう考えを持ったのはニートだから、無職だからかも知れない。ニートと言われると良いイメージがわかないようで、ニートは悪とされる。俺はニートである前に人間で、精一杯努力をしているんだ。俺をまっすぐと見つめて、「お前はダメだ」というなら素直に受け止めよう。だが、「お前はニートだからダメだ」という言葉は嫌いだ。俺はニートだからダメなんじゃない、俺がダメなのは俺だからだ。俺を見ずにニートというレッテルだけを見て、決め付けるな。俺を悪だというのなら、俺自身を見てくれ。

 

 ニートにだって、色んな人がいる。俺のようなひきこもりもいれば、弁護士の資格を取るために勉強しているエリートニートもいる。ニートの看板ではなく、俺を見てくれ。俺はニートである前に俺だ。

 

 閑話休題。死刑の話に戻ろう。死刑囚は間違ったことをしたのかもしれない、殺人はいけないことかも知れない。しかし、死刑囚にも殺人する前の人生があったのだ。殺人は否定されたとしても、死刑囚の人生は否定されるべきではない。そして、殺人の後にも人生があるのだ。その人生も否定されるべきではない。罪を悔やみ善人になる人もいるだろう。罪を認めず、更正しない人もいるだろう。いや、俺はその前に死刑囚は悪人だとは思わない。どんな人間でも巡り会いが悪ければ、人を殺すかも知れない。「環境が悪くても、人を殺さない人がいるなら、環境が良かったおかげで人を殺さなかった人もいるだろう」。

 

 論理なんてどうでも良いんだ、俺はただ人が人を殺すことが悲しくてしょうがないんだ。