くるくる回る蘭の花。

「ザ・インタビューズ」というサイトの中毒者です。

ゆがんだ玉だからこそ俺であり、ゆがんだ玉だからこそ素晴らしいのだ。

 俺は傷つきやすい。それが俺だ、臆病な弱虫が俺だ。そして、そんな俺だからこそ、他人の痛みも想像できる。痛みに弱い俺だからこそ、他人を痛めつけない方法を知っている。自分が傷つく代わりに、他人を傷つけないですむんだ。

 

だからといって、俺は自分から傷つきたいとは思わない。俺が傷ついている姿を見たら、家族も傷ついてしまう。

 

 だが、時たまに傷つくのも良いだろう。それもまた勉強になる。俺を否定する言葉だって一つの真実だ。俺はそれを素直に受け取って、自分の価値観の一つとしよう。自分が成長すれば、新たな価値観を知れば、人の傷つけることも減る。

 

 人を傷つけて、嫌われるのは怖い。なら、人を傷つけないような人間となろう。人に嫌われない人間になろう。

 

 だが、自分を否定して、他人に媚びへつらい、賞賛を得たくはない。俺はニートで精神病にも罹っているが、それが俺だ。自分のマイナス要素だって認めよう、いや、それは全く持ってマイナスな要素じゃない。ニートで精神病なのが俺だ、何も恥じることはない。俺は自信を持って言おう、「ニートで精神病であるからこそ、俺なのだ」と。

 

 俺は綺麗でまん丸な玉じゃない、汚くいびつでゆがんだ玉だ。だが、そのゆがんだ玉が俺なんだ。まん丸な玉に憧れてもしょうがない、ゆがんだ玉だからこそ俺であり、ゆがんだ玉だからこそ素晴らしいのだ。何も経験していない、人の理想で作られた綺麗な丸い玉じゃなくたって良いじゃないか、ぶつかり跳ね飛び野に転がっているゆがんだ玉だって綺麗じゃないか。

 

 たとえどんな形だとしても、俺が俺であることには変わりないのだから。

 

 俺は俺のあるがままの姿を信じる。たとえ俺が否定されたとしても、自分を信じよう。そして、否定の言葉も受け入れよう。自分を認められれば、ありのままの汚くゆがんだ美しい姿を認められれば、否定の言葉を受けても、それが自分だと信じられる。

 

 その否定の言葉を受け止めて、自分が間違っていると知ったなら、変わる努力をしよう。「俺はバカだから」と言うことは簡単だ。俺は自分がバカに思えても、「俺は頭が良い」と主張しよう。否定の言葉を素直に受け止めて、だけどそんな自分を愛して、もっと愛せる自分を目指そう。

 

だが、否定の言葉が間違っていると思ったら、それに乗る必要はない。自分が信じた道を貫こう。しかし、たとえどんな否定の言葉だったとしても、それも一つの真実だということは忘れないようにしよう。

 

 今日も一つのさりげない言葉に傷ついて、そんな自分が悔しくてこの文章を書いている。傷つきやすい、それを悔しがる、それが俺だ。それで自分を否定する必要はない。自分の中に認めたくない自分が居たとしても、それが俺だ。まずはそれを認めよう。まっすぐと見つめよう。それが出来たらその奥をまっすぐと見よう。

 

 もっと素晴らしい人間になれる未来を目指して、努力しよう。

 

 俺なら俺が目指す人間にきっと成れる。

 

 

 泣く顔も、笑う顔も、怒る顔も、全て俺の顔で。

 

 どんな顔の自分も俺は信じている。